厄年と関節年齢
今朝もいつも通り、サイク仲間さんも先日仰っていた事がある
「何年も同じ事の繰り返し、facebook投稿の同じで飽きるじゃろう、でもこれしかないンよ」そう顔をほころばせ自身を貫かれる、私にはとても格好良く自信に満ち溢れた輪郭も太い線に見えた
私も多分にもれず早起き+運動を続けて来た、あれから先代犬きなこが居なくなりおはぎが今は居る、大切な息子の時間を追加しながら工夫
出来ない事より更に早起きすれば自身の時間が取れる、出来ない理由より出来る動機を見つけた方が人生楽しい
ところで今朝は近所を周り平地ペダリングを確認した、と言うのも今更ながら平地や登りにて大幅に廻し方を変化、それが削れず楽にサイクリング出来る事が身に染みた
本来なら重心保持と合わせ三本ローラーと行きたい所、こうしてブログを書くには外の景色があった方が喜ばれる、なので外へ飛び出て新鮮な空気を吸う
サイクリング途中のスサノオ神社境内、厄除け祈願の看板を見つける
厄除けと言えば思いつくのが病気、また整体屋である私は関節疾患が脳裏へ浮かぶ、厄年と言えばどうしても年を重ねたらと言うイメージング、しかし若年でもその年齢に見合う痛みはある
ある小学生は少年野球で痛み、中学高校生は陸上やテニス肘・・・時として椎間板狭窄の様な症状
もちろん中年になると結婚され生活環境も変わり、体重の変化からの腰痛や膝の痛み・・そして高齢では五十肩など、こうして見るとその時々により年齢相応の痛みや悩みがる
もちろん「厄除け神頼み」も良いかもしれない、しかし変わるのも変えるのも自身の行動
たった少しだけ早起きする、時計睨みトーストをかじりながら服を着る生活から抜け出す、すると健康はもちろん営業成績や学業・・やがて小さな積み重ねは人生も豊かにする
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